ADA成立にこぎっけたCILの底力と自信
【1991年ダスキン障害者海外派遣報告『自立へのはぱたき』より]
飛行機にて
いかんせん窮屈で退屈な飛行機の中では、「眠りこんで、気がついたらいつの間にか目的
地に着いてしまった」というパターンしかないと決め込み、飛行機に乗り込んだはずの私
なのだが・・・。就眠促進に飲んだ薬も、むろんもう一つの促進剤も、十二分に喉を通過
させてもサッパリだ。と隣を見れば、決して気持ち良さそうとはいえないが、口をパカー
ツと開けての一応の睡眠態勢。すっかり灯りが落とされた薄暗がりの中で、テーブルに何
本も並んだシーバスのミニチュアだけが、目の前でうらめしくほのかに光っている。
ついぞ一睡もできぬまま、しかし飛行機は昼間近のサンフランシスコ空港に到着した。
自分の腕時計は明け方の3時過ぎを指している。曜日が変わってないので、何やら‥一日得
をしたような気がする。とにかく無事着陸というわけで、ホッと胸をなでおろした。
障害者にアクセシブルな街
入国手続きなどを済ませ、ロビーを出るとドーナツ留学生のパイオニア、敦子・ウィン
ターさん、ダスキンUSAの関さん、秋田さんが迎え出てくださっていた。天気は上々、空
青し。私はじめ四名の電勣隊(車椅子)も、観光バスの横っ腹に装置された電動リフトに
よって、そのまま乗り込むことができて「ノープロブレム」。再び胸をなでおろし、これか
ら先の旅へと想いを膨らます。バスでほどなく着いた所は、フィツシヤーマンズワーフ。
早速、シーフードランチのご相伴にあずかることになって、「おおっ、美味美味・・・、」
と舌鼓。
このレストランもアクセシブルO車椅子の旅となると、諸々の楽しみ以前に、まず足イ
コール交通手段の問題や階段のことを気にしなくてはならず、どうしても憂慰が先に立っ
てしまいがちなのだ。そんな憂鯵からの「解放感」は、長旅の疲れもどこへやらに行かせ
てしまうほどだ。
CILのパワフルな自信に圧倒される
さて、今期の研修は、個人単位でなく団体による研修であり、期間も短い日程であるこ
とから、一つのテーマをじっくりと掘り下げて学ぶということは、もとより無理なことか
ら、広く浅く、次のような関心を持って、私は研修に臨んだ。
●A:DA(障害を持つアメリカ人法)の根幹につながる諸問題、すなわち「重度の障害者の
雇用(開発)」、「移動及び交通」、他に「住宅(公正住宅修正法1988年)」、「介護サービス」
の諸問題について、できるだけの情報収集に努める。
●ADAの法制定に至る過程での異種障害者間の連携や協働について学び聞く。以下、実際
に研修を済ませてみて、各研修先についてコメントしてみる。(順不同)
バークレイCIL(バークレイ市、テレグラフアベニュー12539)
まず、何はともあれCIL抜きには、アメリカの自立生活(IL)運勣は語れず、日本から
も多くの人が訪れ、ドーナツ留学でも研修先としてたくさんの方々が研修した場所だ。所
長のマイケル・ウインターさんをはじめ、マスコミなどでお馴染みのご面々がちらほら。
フィル・ドレイパー、デイヴィッド・ルイス、マーシヤ・シヤミルの皆さん、いずれの方
もADA成立まで漕ぎ着けた底力を持つIL運勣の大奔流の、しかもその中心核としての確
固とした自負や自信に満ちあふれているのが感じられ、実にパワフルそのものだ。
午前と午後に分けて一日、諸講師によって、ADA、IL運勣、アウトリーチ&レクリェー
ショップログラム、ハウジングプログラムなどについてレクチャー。
従来では、一方的なサービスの受け手として甘んじていた人々が、今やまさにサービス
の供給主体として自助活動を行っており、このバークレイCILでは、1972年から今目まで、
15万人以上の人々が、施設を離れ自立生活や就労の手助けを受けてきたという。
コッピュータ・テクノロジー・プログラム(CTP)(バークレイ市ミルヴァイアストリート
2101)
宿泊先のホテルのすぐ近くには駅があり、歩道からエレベーターで地下の改札、ホーム、
そして電車とすべて段差なしでつながっていた。バート(BART=San Francisco Bay
Area Rapid Transit District)に乗って、四つ目でバークレイ駅に着いた。駅からほど
なくCTPはあった。ここは、障害を持つ人が情報技術の訓練を九ヶ月間無料で受けられ、
しかる後、一般雇用への到達を目指すという場所である。 1975年に設立され、現在は主に
州のリハビリテーション局と地元の60以上の民間会社の援助協力を受け、運営されている。